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2006年01月09日

2006年3月25日「プレアヴァ」

さかいれいしう + 松井茂 による新ユニット「プレアヴァ」の為に委嘱新作

◎「PreAva」って誰?

 PreAva(プレアヴァ)歌手さかいれいしう、詩人松井茂によるユニット。
 正式名称「PreAva」。略称「プレタアヴァンギャルド」(略称の方が長いので、略称は使いません)。ちなみに、「プレタポルテ」という言葉があり、それは既製服を意味し、「プレ+アポールテ」の造語。その派生語として「プレタアヴァンギャルド」はあるのだが、これはフランス語として間違っているらしいけれど、日本語文化圏でならば間違っていない(かもしれない)。このことは、極東のアヴァンギャルドとしてフランス人に教える価値があるかもしれない(彼等に教える内容はこれから作る!)……という倒錯したコンセプトによる、21世紀の詩と声によるアート・シミュレーション・ユニットとして活動する。

 「PreAva」の特徴として、他者への依存度が極めて高いということをあげるころができる(第1回は音楽家だが、今後も他ジャンルに依存して行きます!)。自分たちだけでは何もできないことによって、どうしても開かざるを得ないという、ノーテンキなグローヴァリゼーションを考えてみたりすると言う杜撰な戦略……。そもそも戦争の無い国で、軍事用語であるアヴァンギャルド(前衛)という芸術的位置付けは果たして可能なのか? そんなことも考えてみたいような、想像したくもないような……戦争は起こらないはずだけれど、起こっているのかもしれないヘンな場所から芸術を考え、「前衛以前後衛未満」なエステティックを21世紀なりに目指す。突っ込みどころ満載のアート・コスメ(秩序化)に励む。

PreAva No.0 さかいれいしう http://www.reisiu.info/
武蔵野音楽大学にて声楽を佐伯真弥子に師事。三輪眞弘作曲モノローグオペラ『新しい時代』(2000、東京、京都)で主演、松澤宥「白鳥の歌をきけよ」(2003、豊田市美術館)パフォーマンス、銅金裕司『ヴォイスプラントロンライブ』(2004、大阪CASO)演奏、幸村真佐男作「天地人:色即是空」上演(2005、名古屋能楽堂世界ミーム博覧会)など、様々なアーティストと共演し活動の幅を広げている。2006年、松井茂とPreAvaを結成。

PreAva No.1 松井茂 http://www008.upp.so-net.ne.jp/methodpoem/
詩人。主要作品として「純粋詩」(2001年から制作)「量子詩」(2002年から配信)。これまでに一ノ瀬響、宮木朝子、鶴見幸代といった音楽家と共同制作をしている。2000年から2004年まで美術家中ザワヒデキの「方法」に参加。うらわ美術館、豊田市美術館、東京都写真美術館などで作品の展示およびパフォーマンスを行う。「朝日新聞」「読売新聞」などで作品を発表。「美術手帖」などに美術評、クラシックの音楽評を執筆。2006年1月から「現代詩手帖」で美術評を連載中。詩集として『Simultaneous Parallel Circuits』(アロアロインターナショナル)が近刊予定。2006年、さかいれいしうとPreAvaを結成。


◎「PreAva」の理念

 「PreAva」は、21世紀にもなって、現代詩と声で馬鹿馬鹿しくも大まじめにスタイリッシュなことをしてみたいという時代錯誤な欲望から生まれた、松井茂とさかいれいしうによるアート・シミュレーション・ユニットだ。

 これまでにも松井のテキストをさかいが朗読、または歌うというパフォーマンスは、豊田市美術館をはじめ、様々なスペースで行われてきた。特に松井の「純粋詩」とさかいれいしうの声のイメージは多くの人々に共有されている。

 同時に松井の作品は、歌詞としてコンセプトとして構造として、様々なジャンルのパフォーマーの“言語”として使用されてきた。宮木朝子と制作したソプラノ、テープ、朗読による《still voice》、鶴見幸代と制作し再演を重ねているシアトリカルな合唱曲《縞縞》など、実験性とともにそのキッチュさで現代性を評価されている。

 なにはともあれ、もともと難解とされがちな現代詩という分野のなかで、特に難解とされると同時に白痴あつかいされることも多い松井茂のテキストを用いて、スタイリッシュでキッチュでアヴァンギャルドな21世紀のエステティックを掲げた“アート・シミュレーション”を行っていく実験の場として「PreAva」は結成された。

 事実上デビュー公演となる3月24日第1回公演「ショパンを聴いて戦争へ行こう!」は、松井の詩をさかいの声にのせるため、〈いま・ここ〉でなんだか知らないけれど「我々」とか軽々しく言いたくなる作曲家たちに、協力を押しつけるという形態(苦笑)で行われます。

 利用できるものは利用し時流にのっていきたいというのが「PreAva」なのだ。 ◎第1回公演委嘱作曲家

平石博一 http://cat.zero.ad.jp/hiraishi/
作品を初めて発表した72年から一貫してミニマル・ミュージック的な 作風を追及し続けてきた。作品はピアノ曲などの独奏曲,弦楽四重奏をはじめとする室内楽からオーケストラ、さらに電子音楽など幅広くある。舞踏ダンサーや映像作家とのコラボレーションによるステージのための音楽も数多く制作してきたが、近年は美術家とのコラボレーションや空間音楽パフォーマンスに力を注いでいる。

宮木朝子
作曲家、音響デザイナー。映像・ダンスとのコラボレーション、インスタレーションなどの活動を行い、ミラノ「Il gialdino della musica」(1999)などで上演される一方、内外の演奏家の委嘱による作曲活動も行い、ロンドン「Japan Festival2001」カイロ交響楽団「エレクトロメディアの夕べ」などにて演奏される。2004年よりNHK放送技術研究所の立体音響研究に音楽・音響制作協力。2005年より国立天文台・四次元デジタル宇宙プロジェクト3D宇宙映像の音楽・音響を担当、現在日本科学未来館にて常設上映中。近作にアクースモニウム(スピーカーオーケストラ)のための《LITHO/DUB》など。

安野太郎 http://taro.poino.net/
1979年、日本人の父とブラジル人の母との間に生まれる。14,5歳ぐらいから作曲を始めるようになる。2002年情報科学芸術大学院大学入学を前後して近代テクノロジーへの興味から、作曲するイデアの軸がそちらの方へと移る。最近の作品発表は2005年12月日仏学院で発表された、マルチチャンネルスピーカーの為の音楽「ののじで」等。

投稿者 taro : 01:32 | コメント (0)

2006年3月18日〜22日「ニーチェ」

横浜 Bank ART NYKホールにて、Port B公演「ニーチェ」の音楽作曲

百年後のニーチェ。

『ニーチェ 三部作』は解釈によって、さまざまな視点が浮かびあがる
多義的なテクストであるといえるだろう。
2006年の現在、上演はまだフォルクスビューネの制作だけに留まっている。
テクストはさらなる舞台化によって、
新しい地平が切り拓かれることを待ち望んでいる。


2006年3月18日[土]~22日[水] 
BankART Studio NYK ホール

19日[日]15:00の回は、公演後アフター・トークがあります。
開場は各開演の30分前。 受付開始・当日券販売は開演の1時間前です。

チケット料金[税込・全席自由(日時指定)]:
一般=前売り3,000円/当日3,300円
学生=前売り2,000円/当日2,300円 (当日要学生証提示)

チケット取扱い:
制作オフィスPortA企画 tel: 080-5003-5464
fax: 048-269-4679
e-mail: info@portb.zone.ne.jp
Port B webサイト http://portb.zone.ne.jp

お問い合わせ:
制作オフィスPortA企画 tel/fax: 048-269-4679
e-mail: info@portb.zone.ne.jp

前売開始:2006年2月10日[金]  

原作:
アイナー・シュレーフ『ニーチェ 三部作』

構成・演出:
高山明

翻訳:
平田栄一朗
(論創社「ドイツ戯曲30選」シリーズより出版予定)

ドラマトゥルク:
平田栄一朗
林立騎

技術監督:
井上達夫

音楽:
安野太郎

映像:
宇賀神雅裕
三行英登

宣伝美術:
三行英登

出演:
青木純一
暁子猫
井上達夫
ほか

制作:
制作オフィスPortA企画

主催:
Port B

助成:
芸術文化振興基金

協力:

にしすがも創造舎(NPO法人アート・ネットワーク・ジャパン)

投稿者 taro : 00:49 | コメント (0)

2006年3月18日〜21日「4.48サイコシス」

西巣鴨創造舎体育館にてイギリスの戯曲家サラ・ケイン作「4.48サイコシス」の公演。
(音楽担当)[東京国際芸術祭関連公演]

関連webサイト
http://tif.anj.or.jp/program/448.html

作:サラ・ケイン
演出:阿部初美
ドラマトゥルク:長島確
美術:佐藤慎也
照明:田島佐智子
音楽:安野太郎
演出助手:田中智佳
舞台監督:寅川英司×突貫屋
出演:谷川清美/笠木誠/水町レイコ
久保彩美/徳山富夫

暴力的なデビューからわずか4年後の1999年、自殺によって28才でキャリアの幕を閉じたイギリスの劇作家サラ・ケイン。彼女の遺作「4.48 サイコシス」は、触れる者の肌をしずかに切り開き、深く突き刺さる。その詩的なことばは鬱病で自殺願望をもつ〈わたし〉の物語として作家自身と重ね合わせられてきたが、テキストには人物の指定もト書きもなく、むしろさまざまな人々の生の交錯する、同時多発的な"場"へと裂けている。誰もがもつ「この自分という冷たく黒い池」。そして"他者"と通じ合うこと。魂の舞台ともいうべきその場所から、現在の日本社会の抱える"痛み"が姿をあらわすだろう…

会場
にしすがも創造舎特設劇場

投稿者 taro : 00:37 | コメント (0) | トラックバック