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2012年11月11日

世界混浴タワー合唱団

10月6日と11月10日に、大分県の別府で混浴温泉世界というアートイベントで美術家の小沢剛さんとパフォーマンス作品を発表してきました。
追体験できたりする為にも、当日配られたパンフのテキストとustアーカイブを掲載します。

バベルの塔in別府に寄せて 小沢剛

バベルの塔。それは、自分たちの能力を過信し、神に頼らずとも自分たちで何でも出来ると過信し、傲慢となった心の象徴である。
神の力を凌駕できるのではと、人類はバベルの塔を建て始めた。怒った神は人類の共通語をばらばらにした。混乱した人類は、建設を放棄し、各地に散らばっていったという。
別府の町のシンボルタワーから発せられる「あ」「さ」「ひ」「び」「-」「る」という広告の中に潜む言葉を見つけ出す。その中には、言葉の組み替えによって生まれる単語、「あひる」「あさ」「びる」などとともに、他言語の単語も秘められているかもしれない。しかし多様性の渦の中に放り込まれた私たちには、他の言語の意味を読み解くことは出来ない。しかし、別府タワーから発せられる歌は、世界のどこかで、バラバラな言葉の人達の合唱として、共鳴する瞬間があるのではないかと夢想する。
もはや我々は人類一丸となって巨大な塔を築くことは出来ない。しかし多民族・多言語・多宗教という多様性の中で育まれた智慧と創造性は、世界のあちこちで、また今日も天へ向かって伸びていくのだ。


世界混浴タワー合唱団 安野太郎

音楽には国境が無いとは良くいいますが、音楽のことを知れば知る程、国境と呼んでもいい様な様々な高い壁(ジャンルの壁とか?言葉の壁とか?)がしっかりとそびえ立っていることに気付きます。そんななかで小沢さんから出された、『多様な人種と多様な言語による世界混浴タワー合唱団』という無茶振り!「歌」という、音だけでなく言葉も重要な位置付けを持つ音楽でそんなことそもそも可能なのだろうか?焦りました!。ところが、『 別府バベルタワー』のコンセプト(骨太!)を初めて渡されて読み終わった瞬間、「これならできる!」と光よりも速い速度で確信を持てました。
複数の人が集まって歌う事には、それが単一の言語である場合、否が応でも同じ共同体の中での人間の繋がり(さらには祖先への記憶まで!帰属意識?)を感じざるを得ません。国歌、校歌、社歌、党歌などを例に挙げていいでしょう。何度もいいますが、世界混浴タワー合唱団は多様な人種と多用な言語を背景にもったメンバーで成り立っています。歌ってみるとわかりますが、六つのカタカナの発音から構成される壊れた言語の前では、合唱団メンバーそれぞれが◯◯人であり、◯◯語を話すという属性は実は全く意味を持たなくなります、この歌では言葉によって繋がれていた世界から解き放たれた個人としての自分、そして人間がひたすら意識されます。これはとっても孤独なこと。ですが、ふと隣を見るとやっぱり誰かが歌っていてくれてるんです。なんなんでしょうこの感覚、パフォーマンスを見せる前にこのことについてこれ以上語るのは野暮というものなので、この辺で止めておきます。国境を超えた歌。世界混浴タワー合唱団。ワールドプレミアの幕開けです。


以下、ustアーカイブへのリンク
http://www.ustream.tv/recorded/26874272

投稿者 taro : 19:04 | コメント (0)