2013年03月18日
ゾンビ音楽のCD 演奏の産業革命とIT革命
昨日、本来なら発売日が23日なのですが、イベントに呼ばれていたので、CDを先行発売してきました。みなさんの愛のおかげでCDわりと売れました。
初めて出すCDでどれくらい売れるもんなのか、検討もつかず、500枚プレスすんのも、1000枚プレスすんのもあまり費用が変わらないやってことで、調子に乗って1000枚プレスしています。この世にいる1000人のCD棚には並んでもいいだろうと見積もってのことです。
2500円という強気の値段設定は、自分で言うのもなんだけど、ゾンビ音楽の唯一無二性と、映像特典あってのこの価格だと思います。
巷ではクラウドファウンディングとか助成金獲得など、アーティストが色々な方法で制作のための資金を獲得する手段がありますが、ゾンビ音楽は
小売と公演というシンプルな手段が向いていると思った。
・ゾンビはギャラがいらない。(作るのと運ぶのにお金がかかるだけ)
・疲れないから、何度でも同じことやってくれるので、何度でも公演打てる。 でもロボットとは違う
楽譜の発明、発展により、演奏家はリハーサル時間とかぐっと短縮できたし、本番でも楽譜をみながら演奏することもざらだったりします。これによって、おそらく一人の演奏家が抱えられる本番の量とかがぐっと増えたことでしょう。
これを演奏の産業革命だとすると、ゾンビ音楽は演奏のIT革命を成し遂げていると思います。それが良い事なのか悪いことなのかは置いといて。
演奏の産業革命以前の音楽の状態を取り戻す方向性もあると思います。むしろ生身の人間はそうあって欲しい。「とりもろす系」で。
でも、死体を選んでしまった以上、IT革命の方向性に行かざるを得なかったというか、死体にとってはそっちが魅力的に感じました。
快快ていう劇団と関わったときに、何日も時間かけて訓練して、複雑な台詞をいわゆる暗譜でやっているのを見て、演奏家って楽だなとか思ったし(もちろん楽譜をきちんと読んで演奏できるような能力の獲得にはとても時間がかかりますが)、あと楽譜使う音楽に演劇ほどの多様性が認められないのは、音楽が産業革命内の表現で止まってるからだな。と思いました。
これは、光のないに関わっていた三輪さんも似たようなこと言ってました。
演奏のIT革命を成し遂げたゾンビには弱点があります。
ゾンビは死んでいるので、知り合いを公演とかに呼べないし、
CDの販促もできない。それはこの先、何体ゾンビが増えようとも変わらない。だから宣伝とかちゃんとしてあげなければいけない。生きている人間にCDを買ってもらったり、生きている人間に公演に来てもらうためにはここは避けられないです。
グループとか集団だったらさ、一人◯人とか呼べばハコ代払えたりしちゃうじゃん。ゾンビはそこらへん何もかも俺にのしかかってくるからね。
なので、宣伝に躍起になっている僕の姿や、ライブでのCD押し売りをする僕の姿はIT革命の方向を選んでしまった宿命ですので、そういうもんだと思っていて見ていてもらいたいです。
ゾンビ音楽CD購入、公演情報はコチラまで!
http://zombie.poino.net/
2013年02月21日
僕とポピュラー・ミュージック
3月にゾンビ音楽のCDリリースが控えています。
予約受付中!!
CD DUET OF THE LIVING DEAD 予約ページはこちら!! http://zombie.poino.net/?page_id=123
今日は、pboxx新美さんと、翻訳のセバ君と翻訳やCDに入れるテキストなどの詰めの作業を行った。
新橋のカフェでろくに注文もせず5時間ぐらい居座ってしまってすみませんでした。新橋駅側のカフェ・コットンクラブは、wifi完備の電源も完備で、最高の環境を提供してくれました。みなさんも新橋で打ち合わせのときは是非利用して下さい。コットンクラブはハリウッド映画で、ニコラス・ケイジとかが出演してて、たぶん禁酒法の時代に、あるマフィアが仕切っているコットンクラブというキャバレーを舞台にした映画で、わりと面白かったはず。新橋のコットンクラブも途中でジャズの生演奏ありで、映画のコットンクラブをモチーフにしているはず。僕も実は大学時代に埼玉県春日部市のコットンクラブ(おそらく今は無い)というキャバクラでボーイのバイトを4年ぐらいしていました。おしぼりを渡したり、飲み物運んだり、〇〇さんご指名でーすってコールしたり、延長どうですかーって促したり、たまにピアノを弾いたりしていました。
セバスチャン・ブロイ君は、ドイツから日本にきて、快快やチェルフィッチュなど若手演劇グループのドラマトゥルクとして仕事をしに来日している。彼自身、音楽を嗜んでいるし、ゾンビ音楽にも興味を持ってくれたので、今回翻訳を頼みました。かなりゾンビ音楽のこと理解してくれているので、とてもスムーズに事が運んでいます。セバはかなり優秀な逸材だと思うので、色々な仕事を振ってあげて下さいみなさま!!!
pboxxの新美さんはこのCDが出るレーベルのオーナーで、昔から色々とお世話になっている。なんとこのCDが本格的にこのレーベルから出る第一弾のCDなのだ。お互いにデビュー戦である。
このCD、自分としては初のCDリリースなのだが、かなり気合いが入っている。
僕は音楽に興味を持ち始めたのは、三歳からピアノをやっていたとか、実演から入ったタイプではない(なんとなく家にある楽器をさわっていたとかあったけど)。
本格的にこの道に進もうとしたのは、やはりCDやテープ、レコードなどの録音媒体からの影響が強い。
そして、その音源は、ほとんどが演奏記録としての音楽を聴かせる類の音源ではなく、整音されマスタリングされ、スピーカーから響く音響を聴くのに最適化された音源だ。ポピュラー・ミュージックからリリースされる音源はほぼ全てが後者だろう。ここでいうポピュラー・ミュージックは、いわゆるポップスだけではなく、ロック、プログレ、もちろんメタルも含まれる。スピーカーから聴く音響の為に最適化された音楽はすべからくポピュラー・ミュージックだ。
正直に告白しよう。大学でこそ、クラシカルでアカデミックな作曲を学び、自身の作品の発表形態も、生演奏で聴かせる類のものをこれまで多く制作・発表してきたが、僕の音楽観を形成してきた根っこはポピュラー・ミュージックなのであった。今回の録音作業や、最終的な音源を聴いてあらためてそこに気づいてしまった。僕は録音・マスタリングの高桑君に、リコーダーというもともと大した音量も出ないような楽器のCDにも関わらず全ての楽曲にエグい音圧(何をもってどのようにエグいのかはCDを聴いて下さい。別にブルータルなディストーションがかかっているとかではありません。)を要求した。「もっと音が前に前に来る感じ」みたいな言葉で表現していた。僕はどうやらこのCDでゾンビ音楽のライブ感の忠実な再現ではなく、僕の脳内で響くゾンビ音楽の再現をしたいようだ。リコーダーのアコースティックな響きを忠実に再現する方向性の音響だと、どうしても〈違う〉と思ってしまうのだ。それは僕の脳内がポピュラー・ミュージックの音楽観で形成されていたからなのだろうか。しかし今のところ、ライブのゾンビ音楽では、楽器の音をマイクで増幅しようとは一度も思ったことが無い(つまりライブ演奏をスピーカーを通して聴かせることに最適化しようとしていない)ので、ライブ用と音源用の切り替えスイッチみたいなものが僕の中にあって、音源用の頭で聴くと、自分の音楽観の振れ幅がポピュラー・ミュージックの方向性に振れていくということなのだろうか。CD制作を経て、そんな事を今日帰りの電車に乗りながらぐるぐる考えてました。
まぁ最初の話題とも関係しますが、文化不毛の地埼玉のさらに不毛の地春日部で育った冴えないハーフが音楽などを志してしまったのは、ポピュラー・ミュージックの力無くしてはあり得ないよなとも思います。
2012年11月11日
世界混浴タワー合唱団
10月6日と11月10日に、大分県の別府で混浴温泉世界というアートイベントで美術家の小沢剛さんとパフォーマンス作品を発表してきました。
追体験できたりする為にも、当日配られたパンフのテキストとustアーカイブを掲載します。
バベルの塔in別府に寄せて 小沢剛
バベルの塔。それは、自分たちの能力を過信し、神に頼らずとも自分たちで何でも出来ると過信し、傲慢となった心の象徴である。
神の力を凌駕できるのではと、人類はバベルの塔を建て始めた。怒った神は人類の共通語をばらばらにした。混乱した人類は、建設を放棄し、各地に散らばっていったという。
別府の町のシンボルタワーから発せられる「あ」「さ」「ひ」「び」「-」「る」という広告の中に潜む言葉を見つけ出す。その中には、言葉の組み替えによって生まれる単語、「あひる」「あさ」「びる」などとともに、他言語の単語も秘められているかもしれない。しかし多様性の渦の中に放り込まれた私たちには、他の言語の意味を読み解くことは出来ない。しかし、別府タワーから発せられる歌は、世界のどこかで、バラバラな言葉の人達の合唱として、共鳴する瞬間があるのではないかと夢想する。
もはや我々は人類一丸となって巨大な塔を築くことは出来ない。しかし多民族・多言語・多宗教という多様性の中で育まれた智慧と創造性は、世界のあちこちで、また今日も天へ向かって伸びていくのだ。
世界混浴タワー合唱団 安野太郎
音楽には国境が無いとは良くいいますが、音楽のことを知れば知る程、国境と呼んでもいい様な様々な高い壁(ジャンルの壁とか?言葉の壁とか?)がしっかりとそびえ立っていることに気付きます。そんななかで小沢さんから出された、『多様な人種と多様な言語による世界混浴タワー合唱団』という無茶振り!「歌」という、音だけでなく言葉も重要な位置付けを持つ音楽でそんなことそもそも可能なのだろうか?焦りました!。ところが、『 別府バベルタワー』のコンセプト(骨太!)を初めて渡されて読み終わった瞬間、「これならできる!」と光よりも速い速度で確信を持てました。
複数の人が集まって歌う事には、それが単一の言語である場合、否が応でも同じ共同体の中での人間の繋がり(さらには祖先への記憶まで!帰属意識?)を感じざるを得ません。国歌、校歌、社歌、党歌などを例に挙げていいでしょう。何度もいいますが、世界混浴タワー合唱団は多様な人種と多用な言語を背景にもったメンバーで成り立っています。歌ってみるとわかりますが、六つのカタカナの発音から構成される壊れた言語の前では、合唱団メンバーそれぞれが◯◯人であり、◯◯語を話すという属性は実は全く意味を持たなくなります、この歌では言葉によって繋がれていた世界から解き放たれた個人としての自分、そして人間がひたすら意識されます。これはとっても孤独なこと。ですが、ふと隣を見るとやっぱり誰かが歌っていてくれてるんです。なんなんでしょうこの感覚、パフォーマンスを見せる前にこのことについてこれ以上語るのは野暮というものなので、この辺で止めておきます。国境を超えた歌。世界混浴タワー合唱団。ワールドプレミアの幕開けです。
以下、ustアーカイブへのリンク
http://www.ustream.tv/recorded/26874272
2009年11月29日
満員御礼! 音楽映画第九番 ありがとう!
音楽映画 第九番
ご来場ありがとうございました。
二回公演どちらの回も整理券が全部はけてしまうほどの盛況ぶりでした!
パフォーマーたちもテンション上げ上げで頑張ってくれました。
すばらしかったです。
今回の音楽映画は、これまでとは違いました。
(毎回これまでとは違うんですが)
映像でのお笑いは80%減、シリアスミュージックとしての音楽映画でした。
再演のチャンスとかないかなーと思ってます。
この路線なら新作も有り得るかなと思いました。
以下、プログラムノート全文を掲載します。
男臭い感じで今読むと恥ずかしいですが、しょうがないです。
音楽映画は第九番まで続くような作品だとは思ってなかった。
音楽映画に関してよくされる質問で、一体何でこのような表現を思いついたか聞かれることがよくある。
ある日の昼下がり、バイトの休憩で煙草を吸っていた時だった。
そこは駅前に建つ適度に賑わうスーパーの前。
目の前を通り過ぎて行く人々。
かごが買い物で一杯になった自転車をこぐおばさん。
スーパーの入り口でお茶を売る人。特価品の値札が目立つ。
母親に必死で追いつこうと走る子供。
背中が曲がり、10m歩くのも大変そうな老人。
買い物カートの列を運ぶ従業員。
そして、全ての視界を遮るように横切るトラック。
トラックが通り過ぎると、そこには誰もいない。
一瞬間が空いた後、またすぐに人が通り過ぎる。
こんどは電車が到着したのだろうか、駅から流れて来る人の波が目の前を通り過ぎる。
当時この様な風景をボーッと眺めていた僕は、ふとした瞬間に目の前に見える風景を言語化していることに気付いた。正確に言うと、"自分の持つボキャブラリーの範囲"で目の前の風景を言語化していた。目の前の風景は写真ではない、時間と共に刻々と変化していく。目の前で繰り広げられる言葉の流れを頭で思っているうちに、なんらかの秩序が生まれたと勝手に考えた。僕はそのなんとなく目の前に現れた言葉の秩序を自分の手で構成し、確かな物にしたいと思った。刻一刻と変化してゆく光景を"固定し確かめる"ために僕はカメラを構えた。そして、撮影された映像から聴こえる(想像の上で)言葉に耳を傾けた。言葉を口にしたら、それは音声になった。音響を時間軸上に構成することを作曲と呼ぶのなら、このようにして生まれたものを作曲された音楽作品と呼んでよいのではと考えた。幸運なことに、現代は技術革新が進んでおり、僕みたいにカメラをさわったことのない者でもカメラを扱うことができたし、編集も簡単に行える時代だ。僕は中古で買ったビデオカメラで撮影を始め、コンピュータにはじめから付属している動画編集ソフトで編集をした。これが、『音楽映画』のはじまりだった。
『音楽映画』は当時の僕にとってとても手応えのある試みとなった。音楽映画という名は映画音楽を反転した名前だ。当時の僕は、映画のBGMでもないのに映画音楽みたいな音楽にムカついていた(映画のBGMは音楽としてスルーしていた)。映画のBGMでもないのに映画音楽みたいな音楽というのは、すでにありそうなイメージを容易に想起させるような音楽だ。それは映画のようにストーリーがあるイメージだけでなく、iTunesビジュアライザ(あんなもん最悪だ!)を代表とする様な抽象的な映像をイメージさせるような音楽も同様だ。音楽家は映像の力に想像力をだいぶ浸食されていってると感じていたし、自分自身もそうだと思っていた。音楽によって何かをイメージしてはならないわけではない。音楽は、見えざる世界を見せる芸術だ。音楽を聴き、トランスする感覚というのはそういうことだ。しかしそれが映像によって可能なら、音楽など必要ない。映像によって見せられるイメージを超越してこその音楽であると僕は考える。現代音楽と呼ばれるような新しい音楽を生み出していく分野ではなおさらだ。僕は、「音楽映画」という試みにより、目には目を、歯には歯を作戦で、映像に対して音楽側からの戦いを仕掛けたのだ。それで、一人でも多くの人々を映像によるイメージの呪縛から救い出そうと考えたのだ。そうやって勝手に僕一人の一方的な『音楽映画』という名の聖戦が始まった。
ほとんど目もあてられないが、当時は本気でこんなことを考えていた。
そして、そうやすやすと映像の力にはかなわなかった。映像の力はいまなお強大だ。
こうして、映像に対する聖戦だったはずの音楽映画だったが、はじめて出来上がった音楽映画第一番(新港ピアで展示中)を見たときに、僕は感じた事の無いような妙な感覚を覚えた。映像をただ言葉にしているだけなのだ! それは、映像の情緒と音楽の情緒との関係を断ち切り、映像の情緒を音楽の情緒とリンクさせ、相乗効果を生む様な行為を否定し、人々を映像イメージの呪縛から目覚めさせる為のソルジャー・安野太郎のメッセージのはずだった。しかし、映像をただ言葉にし、それを口に出す行為を客観的に聞いていると、それは映像に対する過激なメッセージというよりは、人間がものを見ること、認識することにまつわる根っこの感覚に触れる行為のような気がした。妙な感覚というのはこれだ。僕がこれまで感じたことのなかった人間の一面に触れたのだ。これによって、僕が映像に対して始めたケンカなどちっぽけな事に思えてしまい、もっと大きな人間の根源的な部分を発見しそこにアクセスできる音楽としての『音楽映画』の可能性に気付いた。音楽映画がアクセスできる人間の根源的な部分は何なのかということは、いまだに僕ははっきりと言えない。こうして音楽映画を実際に作り、聖戦の意味が変わった。人間の探求だ。
音楽映画は、作曲家・安野太郎が「映像」に一発お見舞いをくれてやる、映像という飛び道具を使った花火のような作品で終わるはずだった。ところが、「人間の探求」が始まってしまったが為に、第九番まで作って続いてしまうような、大仕事になってしまったのだ。
もう、紙面が少なくなってしまったが、第九番にいたるまでの経緯を書く。
音楽映画第一番を作ったとき、それは一人の声による多重録音の作品だった。僕が自分の持つボキャブラリーの範囲で目の前の風景を15回言語化したものを重ねて、映像に貼付けたのである。それは一人の声の一人の世界の音楽映画だった。その後第二番から第三番を除き、これまでは複数人数(安野太郎はソルジャーからジェネラルに変わった)で自分では無い他人の声により、さらにライブによる実現という形態で発表されている。音楽映画は言葉だけによる音響で、一聴した感じでは音楽と呼び難い印象だが、ライブで人間がステージに立ってパフォーマンスを行うことによって、音楽映画は首の皮一枚『音楽』に留まっていると考える。このような音楽映画がいかに音楽であるかの論述をここでもしたいのだが、足りない……!
今回の第九番にいたる重要な転機が音楽映画第七番からにある。第七番からは、映像にCGによる読み取り棒が加えられた。これまでは、パフォーマーが何を見てどのように言葉にするかにある程度自由が認められていたが、読み取り棒を加えることにより、”何を見るか”という視点と視点の移り変わりの時間上の変化に制限が加えられた。パフォーマーは読み取り棒にそって映像を認識するというルールが加えられたのである。それはスキャナーのそれと同じだ。それは言い換えると、視点というパラメーターが作曲に加えられたことになる。音楽映画において、構成がさらに重要となった。作曲家冥利に尽きる。今回の第九番は第七番、第八番までのアプローチを受け継いだ強化版である。人数が増えた豪華版ともなっている。
16人の人間スキャナによるまなざしのアンサンブルを是非楽しんで下さい。
2009年08月19日
【募集】クリエイティヴ・ミュージック・フェスティバ ル
今年で12回目となる音楽祭「クリエイティヴ・ミュージック・フェスティバ
ル」の参加者募集が始まりました。今年は広島県での開催となります(広島駅からの無料送迎バスあり)。
ゲスト講師は、作曲家の藤枝守さん、安野太郎さん、パフォーマーの杉浦未樹
さんです。
どなたでも楽しめるフェスティバルです。ぜひご参加ください。
フェスティバルでお会いできるのを楽しみにしております。
CREATIVE MUSIC FESTIVAL 2009 LISTENING IMAGINATION
application
●日程:2009年8月28日(金) 午後3時〜30日(日) 午後2時
●会場:広島県野呂高原ロッジ http://www.norosan.or.jp/
広島県呉市川尻町野呂山 0823-87-2390
●募集人数:約30名
楽器または何か音の出るものをご持参ください。
●参加費:
一般28,000円(過去に参加したことがある方は27,000円)
学生(学生で25歳未満) 26,000円
参加費には、宿泊費(2泊分)と食事代が含まれています。
(28日の夕、29日の朝、昼、夕、30日の朝、昼の計6食)
●お問い合わせ(資料請求)/お申し込み:
CMF事務局 090-9460-1974(寺内)
E-mail:cmfcmf@nifty.com
※CMFホームページのお申込みフォームからもお申し込みできます。
http://homepage1.nifty.com/ERuKa/cmf/frame_j.html
●お申し込み締切:8月21日(金)
※部分参加または宿泊せずにプログラムのみに参加することもできます。
詳細につきましてはお問い合わせください。
※8月22日(日)以降のキャンセルはキャンセル料をいただきます。
●お振込:
・口座名義:寺内大輔(テラウチダイスケ)
ゆうちょ銀行 15160-38903281
・口座名義:クリエイティブ・ミュージック・フェスティバル
三井住友銀行 芦屋支店 普通3845645
schedule
8月28日(金)
15:00ー受付・ガイダンス
15:30ー17:00 ワークショップ1
杉浦未樹「身体から声を聴く、声から身体を聴く-1-」
19:00ー22:00 ワークショップ2
藤枝守 「リスニング・イマジネーション」
8月29日(土)
09:30ー11:00 ワークショップ3
安野太郎「接続して創る新しい演奏法-1-」
11:00ー12:00 ワークショップ4
若尾久美「図形楽譜わらしべ法」
13:30ー15:00 ワークショップ5
杉浦未樹「身体から声を聴く、声から身体を聴く-2-」
19:00ー22:00 コンサート
音楽に限らず、どのような表現でも発表することができます。
また、みんなで行いたい企画で実現可能なものなら、コンサート
までに準備して初演することもできます。
8月30日(日)
09:00〜11:00 ワークショップ6
安野太郎「接続して創る新しい演奏法-2-」
12:00〜14:00 さよならパーティー
14:00 解散
access
●会場へのアクセス
野呂高原ロッジ行き無料送迎バス(28日/要予約)
・13時00分 JR広島駅新幹線口(北口)みどりの窓口前集合
・13時50分 JR呉駅改札口前集合
お車での所要時間
・山陽自動車道 西条ICから1時間20分(国道375号→国道185号)
・山陽自動車道 河内ICから1時間20分(国道432号→国道185号)
・タクシーの場合 JR安芸川尻駅から約20分
guests
藤枝守 Mamoru FUJIEDA
作曲家/九州大学大学院芸術工学研究院教授。
カリフォルニア大学サンディエゴ校音楽学部博士課程修了。博士号(Ph.D. in
Music)を取得。作曲を湯浅譲二、モートン・フェルドマンらに師事。純正調に
よるあらたな音律の方向を模索したり、植物の電位変化のデータに基づく『植
物文様』という作曲シリーズを展開。CDに《クラヴィコードの植物文様》や
《Patterns of Plants II》など。著書に『[増補]響きの考古学』(平凡社ライ
ブラリー)など。最近では、金沢21世紀美術館や福岡のアルティアム・ギャラ
リーで珪藻土やエオリアンハープによるサウンド・インスタレーションを行
う。今年2月のNHK「爆笑問題のニッポンの教養」に出演。
http://www.fujiedamamoru.com
安野太郎 Taro YASUNO
79年東京生まれ、ドヤ街生活を経て、横浜に拠点を置き活動中。作品は、京都
ビエンナーレ、アルスエレクトロニカ、越後妻有トリエンナーレなどでも発表
されている。代表作には、人間が世界をどのようにして見ているかをテーマに
した音楽パフォーマンスである『音楽映画』シリーズ、笛の指使いの新しい考
え方であるビット運指法による作品等がある。また、自身が立ち上げたP2PFTP
プロジェクトでは、「レコーディング・アンサンブル」と呼ぶ、新しい音楽形
態とも社会運動ともとれるプロジェクトを行っている。
現在、東京芸術大学音楽環境創造科教育研究助手、パフォーマンス集団、方法
マシン代表。
http://taro.poino.net
杉浦未樹 Miki SUGIURA
幼少よりヴァイオリンと合唱をならい、1995年にパパ・タラフマラのワーク
ショップを受けて身体とヴォイスと聴くことの関連性に興味をもつ。2000年か
ら2005年にオランダに滞在し、パトリシア・バルディーのVMI(Voice Mind
Integration)コースで、ボディワークを通して声へアプローチすることを学
び、パトリシアと作品を制作・共演する。オランダ、日本、ベルギー、イタリ
アで、ダンス作品への出演、ダンサーとのコラボレーションや即興音楽ライブ
を中心に活動してきた。近年は、2007年ルーカ シモニスらとコラボCD、
「NEWS」がオランダでリリースされ、2008年BankArt カフェ・ライブ・シリー
ズでMeri Nikulaと公演、2009年1月にオレゴンでマイク・ノード,中島久美ら
と"Noh Sound Silence" を公演。
2009年08月14日
ののじで2009とダンス(明日発表)
「ののじで」は、数チャンネルあるスピーカー間を移動する音源の経路をそのまま音源の振幅(=スピー
カーコーンの動作)に当てはめて音響とその時間構成を作曲した電子音響音楽です。今回は4chのスピー
カーで実現されています。この音楽の作曲(スピーカーコーンの動作決定の時間構成)をしていると、ス
ピーカーに対するイメージが、ただの電気で動く音響再生装置から、「ののじで」という音楽を実現する
擬人化された何か(=精霊)の宿る箱に徐々に思えて来て、実際にその精霊を呼び寄せたい思いが強くな
りました。今回はバーレスクダンサーのチェリータイフーンさんを呼んで精霊を表現していただきます。
『CONCERT !!』
2009.08.15 (SAT)
19:00-21:00
VENUE:con tempo (北千住)http://www.ottr.cc/access.html
FEE : 500JPY
LIVE : 田中 翼, 松本祐一, 安澤 洋, 安野太郎+チェリータイフーン
※公演終了後、アフターパーティーを予定しています。
2009年08月05日
仙田保育園大学/音楽映画第八番@越後妻有トリエンナーレ 終了
越後妻有トリエンナーレはまだまだ続きますが、僕の妻有は終わりました。
終始幸せな気持ちで持続する事ができた発表でした。
公演は大成功でそれは企画・制作に回ってくれた、東京芸大音楽環境創造科三年の
『ダチョウ倶楽部』と名付けられた三人のおかげです。
今回の音楽映画の肝は、「映像にゆかりのある人が声を発する」という部分でした。
9人の参加者の内、5人が仙田地区の人々で、4人が東京から来た学生でした。
それぞれ、同じ映像を見て発する言葉の、何が同じで何が違うかなど色々興味深い結果が
みられました。
結果は見た人だけが分かるんですが、ああいった結果になったことによって、音楽映画が
ハードウェアとしての人間のスキャン機能の部分にアクセスしている作品だということに
説得力が持てたと思います。
作家としては反省も多くあるので、次の作品に生かせられたらと思っています。
鑑賞しに来て下さった方々ありがとうございました。
2009年06月17日
pboxxのムービー
先日五反田で行われた
pboxxライブのムービーがアップロードされました。
そして、私は先週の土日は秋田に行ってました。
秘湯鶴の湯温泉
2009年05月24日
5TANDA SONIC
またバイクが盗まれました。新しい鍵を取り付けようとした矢先です。
悲劇です。
それはそうと、5TANDA SONICでライブ行いました。
ののじで2009を発表しました。東京初演ということになります。
何もないステージにみんな何を見たのでしょうか?
2009年05月14日
ダイナモプロジェクト下見
7月26から開催される、越後妻有トリエンナーレで
ダイナモプロジェクトいう企画が十日町市の旧仙田小学校付近で行われます。
ここで、僕は音楽映画を発表する予定です。
先日は発表場所などの下見に行ってきました。日帰りで少し疲れましたが楽しかったです。
今回のプロジェクトは東京芸大音楽環境創造科の一部のプロジェクトや、先端芸術表現科の一部のプロジェクトとの合同の発表になっており、僕はその一環として、生徒達の手でプロデュースされる模様です。
7月まであと少しですが、どんな事になるのか楽しみです。
2009年05月13日
帰還・活動報告
電子音響音楽コンサート&シンポジウム2009にお越し下さってありがとうございました。
名古屋岐阜2泊3日の旅から戻ってすぐに新潟に行って、戻りました。
活動報告です。
この日は他の出品者にiamasの由雄先輩、同級生福島君も出品してました。
由雄さんの作品(声:さかいれいしうさん)
僕はののじで2009という作品を発表しました。
この曲は、4chのスピーカー間を移動する音源の経路を実際に鳴る音源の波形に図形を書き換えてシンセサイズをしています。
プログラムで直接書いた波形のデータを、スピーカーで鳴らしていることになるので、作曲中はスピーカーに潜む見えざる小人への楽譜を書いている気になってました。
プログラムノートでは、この仕組みについて特に触れなかったのですが、仕組みを説明しようとすぐ次には『だからどうした?』みたいなことを思ってしまう、だからどうした問題がなかなか解決できず、書く事を躊躇してしまいました。ののじでの仕組みではまだやれることがあるので、機会があればまた挑戦したいと思います。
帰りは初めて食べる名古屋めしである、みそ煮込みうどんを食べて帰りました。
2009年04月23日
お賽銭スピーカー
どうも、最近の欲しいものは、
ダブルのスーツとエグザイルみたいなサングラスと、踊れる身体です。
電子音響音楽のエントリーで触れた、お賽銭箱の機能をもった台座に置かれているスピーカーですが、証拠写真があるので、載せておきます。
わかりにくいかもしれませんが、ミサが行われるであろう舞台の周りをスピーカーが囲んでます。
信者が座る席(客席)の周りにもスピーカーはあります。
2009年04月21日
みなとみらいホール
みなとみらいホールでパイプオルガンをさわってきました。来年の3月にオルガニストの原田靖子さんのリサイタルの為に作曲する為の下見です。
ずっと弾いてたいけど、ちょっと恐縮してしまう。
音がでかくて、明るいオルガンでした。
マーシャル4段積みがスゲーとかいう文化のルーツを見た気になりました。4階建てだからね。段積みと階建てじゃ、格が違うことが分かりました。
みなとみらいのオルガンの話ではないですが、東京にはお寺にパイプオルガンがある場所というのが三カ所あるらしく、演奏する曲目の題名がもろキリスト教を連想させるものは、演奏NGらしいです。主よ人の望み〜〜〜とか。
それ以前の問題な気もするんだけど。。。。
2009年04月20日
電子音響音楽 シンポジウム&コンサート2009
2009年5月9日(土)
愛知県芸術劇場小ホール
シンポジウム15:00〜17:30(開場14:30)
コンサート 18:30〜(開場18:00)
全自由席3000円
チケットお問合せ mikakom@sda.nagoya-cu.ac.jp
安野はののじで2009という作品を出します。
2005年に作った作品の新しいヴァージョンです。
ののじで2009
2009年3月に僕はブラジルのリオデジャネイロに行ってました。そこで市の中心部にある、メトロポリタン大聖堂に遊びに行ったのですが、大聖堂は巨大な円錐形の建物で、見た目はまるで古墳(円墳)のようでありました。平日に行ったのでミサはおこなわれていませんでしたが、建物は誰にでも解放されていたので、僕でも中に入れました。教会の中では賛美歌か何か音楽が小さい音で流れており、教会を訪れる人を迎えてくれていました。音楽は天使の歌声のような合唱で、それはスピーカーから流れていました。巨大な円形のフロアを囲むように何十台もスピーカーが設置されていたのです。よく見るとスピーカーは一台一台石の台座に鎮座しており、その台座をよくみると、お賽銭入れになっていました。お賽銭とは知っての通り、神や仏に供える金銭です。なるほど、そこに人がいないのに声が聴こえてくる装置というのは、ある意味ミラクルでイリュージョンであり、神業と言えるのかもしれません。今日では大体誰もが(特に今日のようなコンサートに来るような聴衆は)スピーカーから音が出る事のタネも仕掛けもすべて分かっているとは思いますが、それでもなお僕はある種のイリュージョンをここで披露します。
2009年04月12日
パイプオルガンはDJプレイ
今日はオルガニストの原田靖子さんと来年みなとみらいホールで発表する新作の打ち合わせでした。
オルガンはハコ無しには成り立たない楽器(ていうか装置)で。
『オーディエンス』『奏者』『教会(ホール)』の関係がクラブでいう『オーディエンス』『DJ』『ハコ』の関係を想起させるような関係だと思った。
オルガン曲はタワレコでは古楽器の棚にあったりするのですが、一体何の古いヴァージョンなのかと考えてみたら、DJの古いヴァージョンなのかもなぁと思った。
パイプオルガンの加算合成具合がシンセサイザーを思い起こさせもしますが、オルガンーDJの関係に注目してみようと思った。
パイプオルガンの作品を作るチャンスはなかなか無いと思うので、
気合いを入れて臨みます。
その後色々調べてみた。
大昔(16世紀)は盲目のオルガニストが活躍したそうだ。こ、虚無僧?
2009年03月23日
終了
音楽映画2008年度プロジェクト@山手ゲーテ座の公演が終了しました。
たくさんのご来場ありがとうございました。
音楽映画、着実に発展していってます。
少しづつ進みます。
コンサートの演目が始まる前に、10分間のCMが入る等、大したアイデアではないのですが、
初の試みもありました。映画のシステムをパクりました。
次は来週の川崎市市民ミュージアムで方法マシンの『サーチエンジン』で、2008年度を締めくくり、春を迎えます。
2009年01月26日
おっとり舎 録音
昨日は、『おっとり舎』という、北千住に住む若者達のグループが運営する。
泣けるアートスペースに行ってイベントを体験。
舍の佇まいから、そこで行われてる活動から何から色々と泣ける感じで、荒川でたそがれたくなる感じで、とても素敵でした。
ここにはサトコさんとタイフーンさんが似合う感じなので、今度連れて行きたい。
今日は、早川貴泰作のアニメーション『塵芥集』のサウンドトラックをレコーディングした。
演奏はチャンチキトルネードなどで活躍する、江川良子さん。
ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの全ての楽器をオーバーダブでやってもらいました。あんな細いからだでなんとまぁ。タフな演奏家なんだ。
脱帽。みんな彼女の集中力に驚愕。
からだ的に難しい曲やらせてしまってすみません。なんか演奏者を機械だと思ってしまうフシがあるんだな俺は。方法マシン代表なわけだし。 そんなもんだね。
昼の朝の11時から21時近くまで缶詰になって録音してました。
なかなかのできなので、いつしかお披露目したいです。アニメは、4Kアニメといって、ハイビジョンの4倍の解像度。
エンジニアリングを仕切ってくれた学生は、みな二十歳そこそことは思えない様な仕事ぶりと、情熱と、人柄(もしかして、エンジニアとしてお世辞の言い方に始まるコミュニケーションの授業とかもあるのかってぐらい気持ちよくやらせてもらえたのでした。)があって、すげー頼もしかったです。
2009年01月18日
『サーチエンジン』on Youtube
方法マシン『サーチエンジン』のデモビデオをYoutubeにアップしました。
2008年12月03日
P2PFTPプロジェクト
http://taro.poino.net/p2pftp.html
このプロジェクトは、チベットへの祈りを音楽によって繋げるというプロジェクトと解説されているのだが、
現代社会、とりわけテクノロジーと深く関係したプロジェクトでもあるわけです。若干過去形になってますが、これは今でも続いているつもりです。
まず、録音ならでわの音楽がここでは展開されています。一体どこが録音ならでわの音楽かというと、P2PFTPプロジェクトでは、参加者全員はそれぞれ別の場所で別の時間に自分のパートを録音します。参加者それぞれが別の場所で別の時間で一つのアンサンブルを成り立たせようとするには、レコーディングを介さなければあり得ません。そしてそれは電子メールによって一カ所に集められ、その録音が重ねられる。これらがこのプロジェクトで提示される音楽が録音ならでわ、現代社会ならでわである所以なのです。アンサンブルという言葉の従来の意味は同じ場所で同じ時間という性質が伴います。だから、このプロジェクトで行われるアンサンブルの様な行為には名前が無いです。名付けるならレコーディングアンサンブルでしょうが、他に良い名付けもあり得るかも知れません。
一体それは何を意味するのか考えるとなかなか深くなると思うので、今日はこれまで。
そして、このプロジェクトの亜流がyoutubeのオフィシャルプロジェクトとして立ち上がっています。
http://jp.youtube.com/user/symphonyjp
やっと気付いたね。どうなるかかなり期待して注目しています。
2008年12月01日
音楽映画寿町 予告編
2008年10月17日
録音は音楽なのか?
作曲家の三輪眞弘さん(恩師)が最近良くいう発言で、演劇と映画があって、絵画と写真があって、なんで音楽に対して録音された音楽も同じ音楽なのだろうかという問題があります。
録音された音楽は音楽ではないんじゃないだろうかという考えです。彼は録音された音楽を『録楽』という言い方をしています。これは蔑称というわけではなく、演劇ー映画、絵画ー写真、のように音楽と録音された音楽は別のものだという主張です。
これに関してはたしかに一理あって、我々も考えなきゃいけない問題なのかもと思っています。
僕の考えでは、生の音楽も録音された音楽も『音楽』と言って良いと思っているのですが、
どちらの音楽にも演劇ー映画、絵画ー写真、のようにれっきとしたカテゴライズされる名前があるのではなく、音楽にはジャンル名(ジャズとかロックとか現代音楽とか)は存在するけど、その上にカテゴライズされるべき名前が無いということなのかもしれないと考えてます。つまり『音楽』という括りの直下にくるようなカテゴリーが抜けていて、その下にジャンル名が存在してしまっているということなのだと思います。
では、なんで音楽だけ名前が無いのか?記録された音楽と生の音楽を名前で分けることをせず、なぜ名前の無いまま同じ『音楽』として歴史を歩んできたのだろうか?機械によって記録される芸術と機械によって記録されない芸術では機械によって記録される芸術の方が歴史が浅いに決まっている。鍵はおそらく機械、テクノロジーでしょう(あたりまえだけど、、、)。引き続きこの謎を追ってみたいと思います。
2008年09月18日
イアマス コンテンポラリー・ミュージック コンサート
岐阜おおがきビエンナーレ 2008
「イアマス コンテンポラリー・ミュージック コンサート」開催のお知らせ
■近年、国内外から注目されている大垣発の音楽!
イアマスでは開校以来たくさんの音楽が作曲されてきました。この度、これら
の音楽を集めたコンサートが「岐阜おおがきビエンナーレ」にて開催されます。
司会はイアマスの三輪眞弘教授が担当します。それぞれの曲の聴きどころを解
説しながら普段聴き慣れない音楽世界の秘密をひもといていきます。
この数年、イアマス卒業生の活躍には目を見張るものがあります。日本各地で
演奏が行われ、国内外での受賞も少なくありません。今年は松本祐一くんが、
武満徹作曲賞第一位を受賞しています。
岐阜おおがきビエンナーレ 2008
「イアマス コンテンポラリー・ミュージック コンサート」
IAMAS Contemporary Music Concert
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◎会場:大垣市スイトピアセンター 学習館 音楽堂
◎日時:9月23日(火祝)16時半開場 17時開演
◎【入場無料】(会場300席)
◎出演:安野太郎 + H.584 Team SZK 福島諭 みみづ 松本祐一
司会/トーク:三輪眞弘(情報科学芸術大学院大学IAMAS教授)
◎主催:IAMAS、岐阜県、大垣市、財団法人自治総合センター
◎後援:外務省、経済産業省、岐阜県教育委員会、大垣市教育委員会、
大垣市観光協 会、財団法人岐阜県国際交流センター、
財団法人大垣国際交流協会
◎地図:http://www.og-bunka.or.jp/guide/bunka_gakusyu/su_acces.html
◎問い合わせ:
IAMAS(情報科学芸術大学院大学/岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー)
メディア文化センター(CMC)
〒503-0014 岐阜県大垣市領家町3丁目95番地
tel : 0584-75-6606
fax : 0584-75-6604
e-mail : biennale08@iamas.ac.jp
◎詳細情報:
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岐阜おおがきビエンナーレ
www.iamas.ac.jp/biennale08
イアマス コンテンポラリー・ミュージック コンサート pdf (2.4M)
http://www.iamas.ac.jp/~maeda/ICMC08.pdf.zip
◎演奏内容:
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安野太郎 + H.584 は、大垣の風景映像とコーラスによる「音楽映画」を発表
します。Team SZKは、2名の演奏者によるマリンバ曲を新作初演します。福
島諭は、鍵盤ハーモニカとコンピュータによる演奏を行います。みみづ は、
アコースティック楽器とコンピュータによる即興音楽を奏でます。松本祐一は、
「武満徹作曲賞」受賞曲をピアノ、パーカッション、コンピュータという編成
で再演します。
◎プロフィール:
安野太郎 Taro YASUNO
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1979年生まれ. 東京音楽大学作曲科卒業. 情報科学芸術大学院大学修了. 現在,
東京芸術大学音楽環境創造科教育研究助手. 横浜に拠点を置き活動中. 代表作に
『音楽映画』シリーズ, ビット運指法による一連の作品等がある. 『音楽映画』
は来年ブラジルでも制作予定. 作品はいずれも音楽的世界と現代社会に, 新たな
方向性を感じさせる風を与えることに重心が置かれている. AACサウンド・パ
フォーマンス道場 入選及びオーディエンス賞(愛知芸術文化センター/2007)
平成20年度横浜市先駆的芸術活動助成芸術家.
Team SZK
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2005年, 打楽器奏者•作曲家である鈴木悦久を中心に結成される. 旗揚げ公演と
なる, 前田真二郎作品「日々"hibii"13 full moons 」(音楽/三輪眞弘)では,
蛇居拳算と呼ばれる演算による演奏を96分間奏したことで好評を博す. オリジ
ナル作品ではゲームの要素を用いた作品を主に発表し, 規則を用いた演奏を行
う演奏家集団として知られている. 東京の夏音楽祭2007参加公演「手順派合同
際 ~極東の架空の島の唄~」では, 地域児童とのワークショップ作品「三宅島
白木遊び」を発表, 他にトム•ジョンソン作品演奏会に出演するなど活動は多岐
に渡る.
福島 諭 Satoshi FUKUSHIMA
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1977年生まれ. 新潟大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程卒業. 情報科
学芸術大学院大学修了. 2002年よりリアルタイム音響処理を用いた作曲作品
を発表. 以後, 静的な処理を行うコンピュータと, 生楽器との対話的な作品が主
な作曲スタイルとなる. 現在は新潟を活動の拠点としている. 映像作品や舞台作
品への楽曲提供も積極的に行っており, 一方ではコンピュータを使用した即興
演奏活動も続けている. AACサウンド・パフォーマンス道場 優秀賞(愛知芸
術文化センター/2006)日本電子音楽協会会員.
みみづ mimiZ
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2002年, IAMASにて同スタジオに所属していた鈴木悦久, 飛谷謙介, 福島諭の
3名によって結成. コンピュータを用いたリアルタイム音響処理を用いること
により, セッションにおける新たな可能性を探っている. 国内各地, 海外におい
て多数の即興演奏を行う. 音の解体/再構築を即時的に重ねあわせる階層的な
セッションは内外から高い評価を得ている. アルス•エレクトロニカ デジタル
ミュージック部門において, ホノラリーメンションを受賞(オーストリア/200
6)メンバーの飛谷は現在, 岐阜大学工学部応用情報学科後期博士課程在籍中.
松本祐一 Yuichi MATSUMOTO
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1975年生まれ. 岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー卒業.情報科学芸術大学
院大学助手,同校システム管理嘱託員を経て,現在,東京芸術大学美術学部先端芸
術表現科研究助手, 名古屋芸術大学音楽学部非常勤講師.アンケートを行い,
その回答の文章をコンピュータによって解析し,音楽を生成する「アンケート・
アート」が代表作としてある. このシステムによる楽曲《広島・長崎の原爆投下
についてどう思いますか?》が, 本年度の武満徹作曲賞にノミネートされ, みご
と第1位の栄冠に輝いている.(審査員はスティーブ・ライヒ氏)
三輪眞弘 Masahiro MIWA (司会/トーク)
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1958年生まれ. 作曲家.情報科学芸術大学院大学教授. ベルリン芸術大学,R
・シューマン音楽大学で作曲を学ぶ.「入野賞」第1位(1989),「今日の音楽
・作曲賞」第2位(1991),「ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクール」第1位(19
92),「村松賞」新人賞(1995),芥川作曲賞(2004)など, 国内外での受賞多数.
昨年はコンピュータ•ミュージック界のオスカーとも称される, アルス•エレクト
ロニカ デジタルミュージック部門にてゴールデン・ニカ(グランプリ)を受賞
し話題となった. 著書に「コンピュータ•エイジの音楽理論」(出版:ジャストシ
ステム)がある.
2008年09月08日
KASHIKOKIMONO
youtubeでみつけました。
来月彼の新作が作られるので楽しみです。音楽やります。
「KASHIKOKIMONO」
2004年 早川貴泰 音楽 安野太郎
2008年07月27日
7月29日は、京都文化博物館。
この七月、崖っぷちでした。
「崖の上のポニョ」が巷では流行ってるようだけど、
僕は崖っぷちのポイ野でした。
サーチエンジン、猿島、週に二度のワークショップ。子供の為のワークショップ。デジタルワークショップのお披露目会、曲の〆切り。書類の提出。本日色々と決着が付きました。明日は京都行ってきます。
以下、宣伝です。
大井浩明 Beethovenfries 第四回公演 《なりなりてなりゆくソナタ》
京都文化博物館 別館ホール
(旧日本銀行京都支店、明治39年竣工/重要文化財)
2008年7月29日(火) 18時30分開演
使用楽器: アントン・ヴァルター (梅岡楽器サービス提供)
A=430Hz, 1/8 PC調律 (不均等平均律)
《演奏曲目》
ベートーヴェン: ソナタ第12番変イ長調Op.26「葬送(Trauer)」(1800/01)[全4楽章]
同第13番変ホ長調Op.27-1 《幻想曲風ソナタ》(1800/01)[全3楽章]
河村真衣: フォルテピアノ独奏のための《クロスローズ A Crossroads》(2008、委嘱新作初演)
【イラン産薔薇茶とピスタチオによる休憩、約15分】
安野太郎: mp3音源を伴ったフォルテピアノ独奏のための
《帰って来ないあなた》(2008、委嘱新作初演)
ベートーヴェン: ソナタ第14番嬰ハ短調Op.27-2 《幻想曲風ソナタ》
「月光(Mondschein)」(1801)[全3楽章]
同第15番ニ長調Op.28「田園(Pastorale)」(1801)[全4楽章]
フォルテピアノの為の『帰って来ないあなた』は、ピアニスト大井浩明の為に2008年7月に作曲された。中華人民共和国のチベット自治区では、ストリートミュージシャンで生計を立てている子供達がいる。全体を通して聴こえてくる音源パート(※注)は、彼らが歌っていた歌の一部をそのまま使用している。この曲はラブソングであり、旅に出ている恋人を思う女の歌である。歌詞に描かれている「旅に出ている恋人」とは、チベット族の間ではある人物を指す隠語である。ある人物とはチベット人の指導者であり、中国国内ではその名を簡単には口にすることができない、あの人のことである。「帰ってこないあなた」はこのストリートミュージシャンが歌っていたメロディーの構造自体を波形化(いわゆる波形編集の波形ではない)し、デジタル信号で変調させた後に五線譜へと定着させた。この作業は自分にとってまさに文化の変調といえるような行いであったが、しかし作品自体はその行為に対する自分の思いや倫理観とは無関係なノンフィクションとして制作した。
(※注)・・・音源パートはインターネットの公募によって集められた総勢30人の人々によって思い思いの楽器で演奏されたものである。プロジェクト詳細については安野のホームページを参照して欲しい。 taro.poino.net/
安野はチベット、川村さんはウイグルがテーマのようです。
この演奏会は必聴です。オリンピック前のこの時期に。
東と西のガチンコ勝負だぁ。(勝負ではない気がするが)
京都におられるかたは是非!
2008年05月13日
政治とスポーツは別 政治と芸術は? 政治と音楽は?
去る五月九日の夜に吉祥寺で『Rave Tibet Live』というライブを行いました。出演はモーリー・ロバートソン、池田有希子、安野太郎とP2PFTP有志(NAMED RED、F、牛島亜希子、岡野勇仁、杉本文、じゃい、風香、松岡淳、牟田高太郎)、カール・ストーン、在日チベット人のみなさんでした。
チベットのみなさんには、youtubeなどにアップロードされている日本でのデモ映像で聴かれる特徴的な声で叫ぶシュプレヒコールのあの人もいました。どんな内容であったかはネット上で検索してみて下さい。(mixiにもあるよ)
『P2PFTP』を切っ掛けに考えていることがあります。
最近、北京オリンピックに関連して、「スポーツと政治は別だ」と言われている場面をよく耳にすることがあります。これは僕にとって「芸術と政治は別だ」と変換して考えることができる問題です。僕自身はこれまで芸術と政治は別だと考えている立場で活動していました。ところが、最近は色々と思うことがありまして、政治と切り離された芸術などあり得ないとさえも思うようにもなっており、毎晩寝る前に考えたりしています。僕自身がチベットに関連した音楽企画に関わっているからという感情移入を差し引いて考えるようにはしていますが、それでも政治と芸術は別ではないと思うようになっています。芸術があらゆるものとの関係から分断されたそれだけの状態というものを、僕は体験したことがかつてあっただろうか。
色々問題だと思っていることはありますが、『P2PFTP』を通して思ってたことは、政治とスポーツは別と言っているコキントウは北京オリンピックを成功させ、政治利用しようと企んでいる政治家として、そう発言するしかない立場に立たされていると思う。政治とスポーツは別じゃないってことを知って発言している。
それよりも何よりも、スポーツや芸術をやっている当事者達がが政治とスポーツは別だとか、政治と芸術は政治と音楽は別だとか思っちゃってるのがやっぱ変な感じがします。コキントウの方がまだましだと思うし、正直だと思います。君の作っている音楽、君の演奏している音楽、君の書いている絵、君の演じてるもの、君の撮っている映像、君の書いた物語、君の書いた文章。それが政治とは無関係だとしたら、君のやってることに意味はあるのだろうか。もっと言うとそれは美しいのだろうか? ただただ美しいと感じた音楽を耳にしたときに、それが全く政治と無関係だと言えるのだろうか?
と、色々と問いつめながら過ごしています。
ま、政治って言葉にアレルギーになり過ぎ〜って単純に思ってるだけだけど。
あと、僕は政治と芸術は別ではなくて共存するものというより、どちらかというと芸術こそが政治で政治こそが芸術であるという考えに寄っている気がします。んー言い過ぎかなぁ。量子力学だよ量子力学。0と1じゃなくてどっちもなの。
P2PFTPについてはこちら
http://taro.poino.net/p2pftp.html
2008年05月11日
rave tibet
Rave Tibet やって来ました!
みんながこんな顔できる世界にしようぜ。是非。
モーリーさんのアナログパッチシンセの即興、池田さんの語り歌、P2PFTPの大合奏、カールストーンさんのラップトップ、在日チベット人(わざわざ駆けつけてくれた)達の合唱、フリー&セーブチベットのコール、全部絶妙にうまくいってた!
p2pftpチームは、初めての即興。
ほぼノープランの演奏計画。
今回初めて会う人もいる中、かなり緊張しました。
リハは冷や汗ものだったけど、実はあれももう一度聴きたい。
全てのみなさま。
最高の夜でした。
ありがとう!
2008年05月08日
三十一人目来ました!
流しのチベット少女の歌を楽譜に起こして、その演奏を各地から集めるプロジェクトです。
詳細はコチラをどうぞ。
初めの記事
三十一人目来ました。風香さんで
歌です。
☆これから送って下さる方へ☆
音源の単体での公開が可能かどうか。
そして、お名前(匿名OK)を添えて送って下さい。
十人集まったら、ミックス音源をアップロードして、次の十人を待ちます。
次の十人が集まったら前の十人とさらにミックスしてどんどんアップデートしていきます。
2008年04月09日
二十七人目来ました!
流しのチベット少女の歌を楽譜に起こして、その演奏を各地から集めるプロジェクトです。
詳細はコチラをどうぞ。
初めの記事
二十七人目来ました。榑谷静香さんで調律してないスピネットです。
スピネット=小型のチェンバロということです。
あと三人で第三世代終了です。
mp3をダウンロード
☆これから送って下さる方へ☆
音源の単体での公開が可能かどうか。
そして、お名前(匿名OK)を添えて送って下さい。
十人集まったら、ミックス音源をアップロードして、次の十人を待ちます。
次の十人が集まったら前の十人とさらにミックスしてどんどんアップデートしていきます。
寿町に来て半年程経ちましたが、先日実家に引っ越しの為に帰った時に体重計ったら、5キロ減ってました。この調子だ!
2007年08月07日
音楽映画・横浜決起集会
横浜で顔合わせ。
急な坂スタジオの相馬さん、ナヤ・コレクティブの福永さん、作曲家の鶴見さん、洗足学園の小野さん、のメンバーで集まって色々な打ち合わせを行った。リアライゼーションの為の新しいアイデア等も出てわりと充実した会になった。
2007年07月31日
「手順派」合同祭 極東の架空の島の唄
三宅島での手順派合同祭ドキュメンタリーの予告編ができました。
最終的にどんな映像が出来上がってくるのかとても楽しみです。
台風四号にやられてしまい、相当な赤字が出てしまった為、カンパはまだ募集中です。
カンパ下さった方にはもれなく記録DVDをプレゼント!
詳しくは手順派合同祭ホームページまで。
映像は、仙台のじゃいさんです
2007年07月24日
webサイトリニューアル
何年か振りにwebサイトをリニューアル
作業は殆ど一晩で終わらせた。 トップページの写真は、ランダムで変わります。3つ揃っても何もないけど、何かあるかも知れません。
情熱の赤 血液の赤 元気な赤
午前中から夕方にかけては、作曲。
ビット運指(これもweb復活させなきゃな〜)に関する作品を新しく書いている。作曲というより、コンポジションだ。
作曲とコンポジションは通常殆ど同じ意味で扱われる場合が多いのだけど、僕のイメージでは、鼻歌はコンポジションとはちょっと違う。鼻歌はどっちかというとインヴェンション。インヴェンションとシンフォニアってすげぇ鼻歌ってことになるけど、
ある意味そんなに間違っていないと思う。
指使いだけをシステマティックに決めていくことを色々試しているが、8ビットで、0から255まで数え上げた方が響きとしては面白く感じる。指使いを決めていくコンポジションにとって音響とは何だ?音響に対する態度を明確にしなければ先には進めなそう。ビット運指の作品を制作していると、常に音楽とは何か?という答えの無い問いと対峙することになって、いつも迷宮入りしてしまいやすいが、それだけ僕にとっては興味深い考えたなのです。 ビット運指に関しては何年も放っておいてしまったので少し後悔。
2007年01月02日
アルゴリズム作曲
コンピュータによって導き出された音を何故人間にわざわざ演奏させるか。
楽譜に書かれた音符を何故人間にわざわざ演奏させるか。
どっちも同じ様な質問だ。
きっとそれは、作家の音響に対する態度が関係していのかも知れない。
2005年12月10日
ののじで -8チャンネルスピーカーの為の音楽-
この作品は8chのスピーカ間で鳴らされる音の定位が作曲の主なイデアの一つとなっている。 実際の作品中では八角形に配置されたスピーカを五角形二つに分け、五角形の全ての経路における音像の移動を試みており、 そこで鳴らされる音源は、スピーカ間のあらゆる移動経路のパターンをごく短い時間の波形に変換して出力しています。 この試みは、波形のデザインという微視的な視点と音像定位などの巨視的な視点を同時に往復しそれら全てが関連しあっている超自然芸術の試みです。なお作品は99.99%アルゴリズミックな手法で作られています。残りの0.01%は「まごころ」です